個性全開のテイカップスタッフ達が日替わり更新します。更新を忘れた者は編集室全員へラーメンおごりの刑に処す。
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我思ふ、故に我あり。

 幼稚園のとき、何がきっかけだったのかわかりませんが「自分が死んだらどうなるのか?」っていう疑問の答えを探して眠れなくなったことがあります。いま思えばそれが私が初めて「死」を意識した瞬間でした。私が死んだらこの身体は焼かれちゃって、骨だけになっちゃう。そしたら、いまここにある「心」はどうなっちゃうの?どこに行っちゃうの?そして、今こうして色々なことを考えているこの「意識」はそのときも「有る」のか、「無い」のか。果てしない疑問のその先を考えて、そら恐ろしくなったことを覚えています。

 幼稚園のそのときは、「自分がこの世からいなくなるなんて!」と考えただけで本当に恐ろしくて怖くて、その計り知れない暗い闇に成す術もなかったわけですが、あれからウン十年、自分の存在の小ささを思い知った今では、「生」が善・正で、「死」が悪・誤なわけじゃないと、ちょっとだけ死を受け入れるスペースが私の意識の中にあるような気がしています。たぶん、理性がそうさせてるだけで、本当に死に直面したときは情けない程に生きたいともがくのでしょうが。

  「おくりびと」が秋田県での公開を控えていた今から半年前、地元の納棺師さんの取材をする機会をいただき、それ以来、「死」というものに向き合う時間がちょっと増えました。「死ぬ」って一体なんなのか。死んだ経験のある人がこの世に存在しない限り確かな答えなんて出ないと判っていても、考えてしまう。たぶん「おくりびと」を見た方は皆そういう気持ちになったんじゃないでしょうか。 
 死ぬ事は相変わらず怖いですが、それを意識すればするほど、いま生きてるこの人生を価値あるものにしてやろうって気が湧いてきます。どうせみんな必ず死ぬんだったら、楽しまなきゃ損。別に説教するつもりはありませんが、自ら命を絶とうと安易な道を選ぶ若者たちに、せめてもうちょっと広い視野を持たせてあげたいと思うこの頃です。

 イヌハタでした。
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